オウム真理教事件が日本を震撼させていた1995年5月2日、日本テレビ系列のテレビアニメ『シティーハンター3』第11話(1989年(平成元年)12月24日放送)の再放送で教団代表・麻原彰晃の顔が1フレームだけ挿入されていたことがTBS系のニュース番組で報道され、「サブリミナル効果」として問題視した。
しかし、同年6月9日には逆に日本テレビ系列のニュース番組で、TBSのオウム真理教関連番組(1995年(平成7年)5月放送)に、麻原の顔等の画像が無関係な場面で何度も挿入されていたことが報道された。
※サブリミナル映像
日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止している。
心理学的には人は同一人物や同一物を何度も目にすることで、その人物や物に対して好意を抱く効果が認められている。
サブリミナルはその効果を利用した悪質な手法である。
出典元
・サブリミナル
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・【TBS:殺人幇助】坂本弁護士一家殺害を焚きつける(TBSビデオ問題)
・【TBS】報道番組内でオウム真理教のサブリミナル映像を使用する
2016年6月5日日曜日
【TBS】報道番組内でオウム真理教のサブリミナル映像を使用する
オウム真理教事件が日本を震撼させていた1995年5月2日、日本テレビ系列のテレビアニメ『シティーハンター3』第11話(1989年(平成元年)12月24日放送)の再放送で教団代表・麻原彰晃の顔が1フレームだけ挿入されていたことがTBS系のニュース番組で報道され、「サブリミナル効果」として問題視した。
しかし、同年6月9日には逆に日本テレビ系列のニュース番組で、TBSのオウム真理教関連番組(1995年(平成7年)5月放送)に、麻原の顔等の画像が無関係な場面で何度も挿入されていたことが報道された。
TBSはサブリミナル手法を番組テーマを際立たせる1つの映像表現として用いたと説明したが、非難が集中し、郵政省は同年7月21日、TBSに対し厳重注意を行った。
日本テレビではアニメ番組内で半ばジョーク的に行っていたのに対し、
TBSは報道番組内でサブリミナルの意図をもった悪質な行為であった。
(当時のアニメ番組ではスタッフのジョークで関係のないフレームを差し込むことが度々行われていた。)
※サブリミナル映像
日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止している。
心理学的には人は同一人物や同一物を何度も目にすることで、その人物や物に対して好意を抱く効果が認められている。
サブリミナルはその効果を利用した悪質な手法である。
出典元
・サブリミナル
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・【TBS:殺人幇助】坂本弁護士一家殺害を焚きつける(TBSビデオ問題)
しかし、同年6月9日には逆に日本テレビ系列のニュース番組で、TBSのオウム真理教関連番組(1995年(平成7年)5月放送)に、麻原の顔等の画像が無関係な場面で何度も挿入されていたことが報道された。
TBSはサブリミナル手法を番組テーマを際立たせる1つの映像表現として用いたと説明したが、非難が集中し、郵政省は同年7月21日、TBSに対し厳重注意を行った。
日本テレビではアニメ番組内で半ばジョーク的に行っていたのに対し、
TBSは報道番組内でサブリミナルの意図をもった悪質な行為であった。
(当時のアニメ番組ではスタッフのジョークで関係のないフレームを差し込むことが度々行われていた。)
※サブリミナル映像
日本では1995年に日本放送協会(NHK)が、1999年に日本民間放送連盟が、それぞれの番組放送基準でサブリミナル的表現方法を禁止している。
心理学的には人は同一人物や同一物を何度も目にすることで、その人物や物に対して好意を抱く効果が認められている。
サブリミナルはその効果を利用した悪質な手法である。
出典元
・サブリミナル
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2016年5月7日土曜日
【冤罪偏向報道】松本サリン事件 冤罪偏向報道事件
松本サリン事件
1994年(平成6年)6月27日に日本の長野県松本市で発生したテロ事件。
警察庁における事件の正式名称は松本市内における毒物使用多数殺人事件。
オウム真理教教徒らにより、神経ガスのサリンが散布されたもので、被害者は死者8人、重軽傷者660人に及んだ。
無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件・報道被害事件でもある。
また、報道被害を受けた河野義行氏とご家族も松本サリン事件により被害を受けている。
1994年6月27日
日本の長野県松本市で松本サリン事件発生。
河野義行氏が松本サリン事件に際して事件の第一通報者となった。
警察の捜査および情報のリークを受け、被疑者不詳であるなかで地元紙や主要な全国紙を含め、多くのメディアが河野を犯人と決め付けて扱った。
河野やその家族は断続的に長野県警松本警察署からの取り調べを受けたが、有力な証拠が見つからず逮捕されることはなかった。
マスコミは、一部の専門家が「農薬からサリンを合成することなど不可能」と指摘していたにもかかわらず、オウム真理教が真犯人であると判明するまでの半年以上もの間、警察発表を無批判に報じたり、河野が救急隊員に「除草剤をつくろうとして調合に失敗して煙を出した」と話したとする警察からのリークに基づく虚偽の情報を流すなど、あたかも河野が真犯人であるかのように印象付ける報道を続けた。
実際は、事件発生当日の1994年6月27日に河野が薬品を調合した事実はなかった。
事件の真相が明らかになるまで、河野宅には全国から一般人による多くの誹謗中傷の手紙が送りつけられた。
『週刊新潮』は、「毒ガス事件発生源の怪奇家系図」と題した記事で河野家の家系図を掲載した。
地下鉄サリン事件後も河野は週刊新潮のみ刑事告訴を検討していたが、謝罪文掲載の約束により取り下げた。
現在も河野は「週刊新潮だけは最後まで謝罪すらしなかった」と語っている。
このことは一部宗教団体などにより攻撃材料として利用されているにもかかわらず、河野との約束は現在もなお守られていない。
その後、山梨県の上九一色村(現・富士河口湖町)のオウム施設周辺において不審な証拠が発見され、さらに1995年(平成7年)3月20日に発生した地下鉄サリン事件によって、松本サリン事件もオウム真理教の犯行であることが判明し、河野への疑いは完全に解消された。
・以下は実際に報道が行われた偏向報道
「惨事 なぜこんなことを 数種類の農薬混合か」(信濃毎日新聞 1994年6月29日朝刊)
「会社員関与ほのめかす 家族に「覚悟して」 薬品20点余 鑑定急ぐ」(信濃毎日新聞 1994年6月29日夕刊)
「何のための薬品混合? 自宅で処理 化学反応 複数の薬品 発生か」(同上)
「会社員宅から薬品押収 農薬調合に失敗か 松本ガス中毒」(朝日新聞 1994年6月29日朝刊1面)
「隣人が関係 除草剤作りの会社員が通報 松本ガス中毒死」(朝日新聞 1994年6月29日朝刊社会面)
「毒物と隣り合う暮らしの怖さ」(朝日新聞 1994年6月29日朝刊社説)
「雨の深夜、不審な調剤 深まるナゾ 松本ガス中毒死事件」(朝日新聞 1994年6月29日夕刊社会面)
「素人の調合に危うさ 酸混入でガス 松本ガス中毒死事件」(同上)
「松本の有毒ガス、調合ミスで発生 長野県警が見方固める」(朝日新聞 1994年6月30日夕刊社会面)
「ケムシ駆除が目的の可能性 松本の有毒ガス事件」(朝日新聞 1994年7月1日朝刊社会面)
「松本市のガス中毒 通報の会社員宅捜索 薬品数点を押収 / 捜査本部」(読売新聞 1994年6月29日朝刊1面)
「松本ガス事故 住宅街の庭で薬物実験!? 会社員宅の押収薬品「殺傷能力ある」」(読売新聞 1994年6月29日朝刊社会面)
「松本市の農薬中毒事件 通報の会社員を聴取 薬品押収、20点余」(読売新聞 1994年6月29日夕刊社会面)
「松本の有毒ガス集団中毒 会社員宅から薬品押収 事情聴取へ」(NHKニュース 1994年6月29日7時)
「松本の毒ガス集団中毒 二十本以上の薬品押収 会社員聴取へ」(NHKニュース 1994年6月29日12時)
「第一通報者宅を捜索 「薬品調合、間違えた」と救急隊に話す - 松本のガス中毒死」(毎日新聞 1994年6月29日朝刊1面)
「「オレはもうダメだ」座り込む会社員、症状訴え救急隊員に - 松本のガス中毒事件」(毎日新聞 1994年6月29日朝刊社会面)
「前代未聞の猛毒、住民に戦りつ - 松本のガス」(毎日新聞 1994年6月29日朝刊地方版)
「納屋に薬品二十数点、以前から収集か 会社員を聴取へ - 松本のガス中毒事件」(毎日新聞 1994年6月29日夕刊社会面)
「「男性会社員」宅捜索…住民、やっと安堵の表情 - 松本のガス中毒事件 / 長野」(毎日新聞 1994年6月30日朝刊地方版)
「樹木に薬品、効き目なく 「自分で希釈中にガス」 - 松本のガス中毒事件で会社員供述」(毎日新聞 1994年6月30日夕刊社会面)
「「まさか」「どうして」 松本の有毒ガス事故 惨劇、意外な展開」」(中日新聞 1994年6月29日朝刊社会面)
「第一通報者宅を捜査 松本の有毒ガス事故 薬品 数点を押収 捜査本部」(中日新聞 1994年6月29日朝刊1面)
1994年(平成6年)6月27日に日本の長野県松本市で発生したテロ事件。
警察庁における事件の正式名称は松本市内における毒物使用多数殺人事件。
オウム真理教教徒らにより、神経ガスのサリンが散布されたもので、被害者は死者8人、重軽傷者660人に及んだ。
無実の人間が半ば公然と犯人として扱われてしまった冤罪未遂事件・報道被害事件でもある。
また、報道被害を受けた河野義行氏とご家族も松本サリン事件により被害を受けている。
1994年6月27日
日本の長野県松本市で松本サリン事件発生。
河野義行氏が松本サリン事件に際して事件の第一通報者となった。
警察の捜査および情報のリークを受け、被疑者不詳であるなかで地元紙や主要な全国紙を含め、多くのメディアが河野を犯人と決め付けて扱った。
河野やその家族は断続的に長野県警松本警察署からの取り調べを受けたが、有力な証拠が見つからず逮捕されることはなかった。
マスコミは、一部の専門家が「農薬からサリンを合成することなど不可能」と指摘していたにもかかわらず、オウム真理教が真犯人であると判明するまでの半年以上もの間、警察発表を無批判に報じたり、河野が救急隊員に「除草剤をつくろうとして調合に失敗して煙を出した」と話したとする警察からのリークに基づく虚偽の情報を流すなど、あたかも河野が真犯人であるかのように印象付ける報道を続けた。
実際は、事件発生当日の1994年6月27日に河野が薬品を調合した事実はなかった。
事件の真相が明らかになるまで、河野宅には全国から一般人による多くの誹謗中傷の手紙が送りつけられた。
『週刊新潮』は、「毒ガス事件発生源の怪奇家系図」と題した記事で河野家の家系図を掲載した。
地下鉄サリン事件後も河野は週刊新潮のみ刑事告訴を検討していたが、謝罪文掲載の約束により取り下げた。
現在も河野は「週刊新潮だけは最後まで謝罪すらしなかった」と語っている。
このことは一部宗教団体などにより攻撃材料として利用されているにもかかわらず、河野との約束は現在もなお守られていない。
その後、山梨県の上九一色村(現・富士河口湖町)のオウム施設周辺において不審な証拠が発見され、さらに1995年(平成7年)3月20日に発生した地下鉄サリン事件によって、松本サリン事件もオウム真理教の犯行であることが判明し、河野への疑いは完全に解消された。
・以下は実際に報道が行われた偏向報道
「惨事 なぜこんなことを 数種類の農薬混合か」(信濃毎日新聞 1994年6月29日朝刊)
「会社員関与ほのめかす 家族に「覚悟して」 薬品20点余 鑑定急ぐ」(信濃毎日新聞 1994年6月29日夕刊)
「何のための薬品混合? 自宅で処理 化学反応 複数の薬品 発生か」(同上)
「会社員宅から薬品押収 農薬調合に失敗か 松本ガス中毒」(朝日新聞 1994年6月29日朝刊1面)
「隣人が関係 除草剤作りの会社員が通報 松本ガス中毒死」(朝日新聞 1994年6月29日朝刊社会面)
「毒物と隣り合う暮らしの怖さ」(朝日新聞 1994年6月29日朝刊社説)
「雨の深夜、不審な調剤 深まるナゾ 松本ガス中毒死事件」(朝日新聞 1994年6月29日夕刊社会面)
「素人の調合に危うさ 酸混入でガス 松本ガス中毒死事件」(同上)
「松本の有毒ガス、調合ミスで発生 長野県警が見方固める」(朝日新聞 1994年6月30日夕刊社会面)
「ケムシ駆除が目的の可能性 松本の有毒ガス事件」(朝日新聞 1994年7月1日朝刊社会面)
「松本市のガス中毒 通報の会社員宅捜索 薬品数点を押収 / 捜査本部」(読売新聞 1994年6月29日朝刊1面)
「松本ガス事故 住宅街の庭で薬物実験!? 会社員宅の押収薬品「殺傷能力ある」」(読売新聞 1994年6月29日朝刊社会面)
「松本市の農薬中毒事件 通報の会社員を聴取 薬品押収、20点余」(読売新聞 1994年6月29日夕刊社会面)
「松本の有毒ガス集団中毒 会社員宅から薬品押収 事情聴取へ」(NHKニュース 1994年6月29日7時)
「松本の毒ガス集団中毒 二十本以上の薬品押収 会社員聴取へ」(NHKニュース 1994年6月29日12時)
「第一通報者宅を捜索 「薬品調合、間違えた」と救急隊に話す - 松本のガス中毒死」(毎日新聞 1994年6月29日朝刊1面)
「「オレはもうダメだ」座り込む会社員、症状訴え救急隊員に - 松本のガス中毒事件」(毎日新聞 1994年6月29日朝刊社会面)
「前代未聞の猛毒、住民に戦りつ - 松本のガス」(毎日新聞 1994年6月29日朝刊地方版)
「納屋に薬品二十数点、以前から収集か 会社員を聴取へ - 松本のガス中毒事件」(毎日新聞 1994年6月29日夕刊社会面)
「「男性会社員」宅捜索…住民、やっと安堵の表情 - 松本のガス中毒事件 / 長野」(毎日新聞 1994年6月30日朝刊地方版)
「樹木に薬品、効き目なく 「自分で希釈中にガス」 - 松本のガス中毒事件で会社員供述」(毎日新聞 1994年6月30日夕刊社会面)
「「まさか」「どうして」 松本の有毒ガス事故 惨劇、意外な展開」」(中日新聞 1994年6月29日朝刊社会面)
「第一通報者宅を捜査 松本の有毒ガス事故 薬品 数点を押収 捜査本部」(中日新聞 1994年6月29日朝刊1面)
【TBS:殺人幇助】坂本弁護士一家殺害を焚きつける(TBSビデオ問題)
1989年10月26日
TBSが、早川紀代秀、上祐史浩、青山吉伸らのオウム真理教幹部に、坂本堤弁護士がオウム真理教を批判しているインタビューの模様を収録したビデオテープを放映前に見せた。
TBSは、その場で早川らに抗議されて、放送中止の約束をした。
ところが、TBSは、放送中止に至るまでの経緯について、坂本弁護士サイドには一切知らせなかった。
それどころか、TBSは、オウム真理教幹部に、放映前のビデオを見た事は公言しないよう要請した。
TBSが、早川紀代秀、上祐史浩、青山吉伸らのオウム真理教幹部に、坂本堤弁護士がオウム真理教を批判しているインタビューの模様を収録したビデオテープを放映前に見せた。
TBSは、その場で早川らに抗議されて、放送中止の約束をした。
ところが、TBSは、放送中止に至るまでの経緯について、坂本弁護士サイドには一切知らせなかった。
それどころか、TBSは、オウム真理教幹部に、放映前のビデオを見た事は公言しないよう要請した。
また、この時にオウム真理教幹部らは坂本弁護士一家の殺害を決意した。
1989年11月4日
旧オウム真理教の幹部6人が弁護士、坂本堤(当時33歳)と生後1歳の子供を含む家族の3人を殺害する。
なお、この時に母、都子は、苦痛を押して「子供だけはお願い」などと子供の助命を哀願した。
TBSは、事件後も事実を隠し続けたため、警察の捜査も大幅に遅れ、
1995年3月20日オウム真理教による地下鉄サリン事件から6ヶ月後の
1995年9月に遺体が発見されるまでは失踪事件として扱われていた。
こうした経緯から、TBSは取材源の秘匿というジャーナリズムの原則に反しただけでなく、結果的に殺人幇助となり、一家失踪後もビデオをオウム真理教に見せたことを警察や弁護士会に伝えずにオウム真理教をかばい続けたと批判された。
・坂本堤弁護士一家殺害事件
・TBSビデオ問題
・以下Google翻訳
[TBS: murder aiding] build a fire under the Sakamoto family lawyer killing (TBS video problem)
1989 October 26,
TBS is, Xiu Noriyo Hayakawa, Fumihiro Joyu, the Aum Shinrikyo leaders of Yoshinobu Aoyama et al., Showed before aired a video tape was recorded the pattern of the interview that Tsutsumi Sakamoto lawyers have criticized the Aum Shinrikyo.
TBS is, is protest to Hayakawa et al on the spot, was the promise of the blackout.
However, TBS, for the circumstances leading up to the blackout, the Sakamoto lawyer side did not news at all.
On the contrary, TBS is, the Aum Shinrikyo executive, that saw the broadcast before the video was requested not to profess.
Also, Aum Shinrikyo executives at this time we decided to kill Sakamoto lawyer family.
November 4, 1989
Former Aum Shinrikyo executives 6 people to kill three of the family, including a lawyer, Tsutsumi Sakamoto (then 33 years old) and children of age 1 year old.
It should be noted that the mother at this time, Miyako, press the pain "only children ask," he entreated, etc. and of children spared.
TBS, in order to continued to hide the fact that even after the incident, also significantly delayed the police investigation,
March 20, 1995 from the sarin gas attack on the Tokyo subway by the Aum Shinrikyo after 6 months
Until the body is found in September 1995, it had been treated as a disappearance.
From these circumstances, TBS is not only contrary to the principles of journalism that interview sources confidential, eventually becomes a murder assistance, to not tell after the family disappearance also that showed the video to the Aum Shinrikyo to the police and lawyers meeting It was criticized and continued Kabai the Aum Shinrikyo.
· Sakamoto family murder
· TBS video problem
TBSは、事件後も事実を隠し続けたため、警察の捜査も大幅に遅れ、
1995年3月20日オウム真理教による地下鉄サリン事件から6ヶ月後の
1995年9月に遺体が発見されるまでは失踪事件として扱われていた。
こうした経緯から、TBSは取材源の秘匿というジャーナリズムの原則に反しただけでなく、結果的に殺人幇助となり、一家失踪後もビデオをオウム真理教に見せたことを警察や弁護士会に伝えずにオウム真理教をかばい続けたと批判された。
・坂本堤弁護士一家殺害事件
・TBSビデオ問題
・以下Google翻訳
[TBS: murder aiding] build a fire under the Sakamoto family lawyer killing (TBS video problem)
1989 October 26,
TBS is, Xiu Noriyo Hayakawa, Fumihiro Joyu, the Aum Shinrikyo leaders of Yoshinobu Aoyama et al., Showed before aired a video tape was recorded the pattern of the interview that Tsutsumi Sakamoto lawyers have criticized the Aum Shinrikyo.
TBS is, is protest to Hayakawa et al on the spot, was the promise of the blackout.
However, TBS, for the circumstances leading up to the blackout, the Sakamoto lawyer side did not news at all.
On the contrary, TBS is, the Aum Shinrikyo executive, that saw the broadcast before the video was requested not to profess.
Also, Aum Shinrikyo executives at this time we decided to kill Sakamoto lawyer family.
November 4, 1989
Former Aum Shinrikyo executives 6 people to kill three of the family, including a lawyer, Tsutsumi Sakamoto (then 33 years old) and children of age 1 year old.
It should be noted that the mother at this time, Miyako, press the pain "only children ask," he entreated, etc. and of children spared.
TBS, in order to continued to hide the fact that even after the incident, also significantly delayed the police investigation,
March 20, 1995 from the sarin gas attack on the Tokyo subway by the Aum Shinrikyo after 6 months
Until the body is found in September 1995, it had been treated as a disappearance.
From these circumstances, TBS is not only contrary to the principles of journalism that interview sources confidential, eventually becomes a murder assistance, to not tell after the family disappearance also that showed the video to the Aum Shinrikyo to the police and lawyers meeting It was criticized and continued Kabai the Aum Shinrikyo.
· Sakamoto family murder
· TBS video problem
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